第8回京都学生祭典で実行委員長つとめております
立命館大学法学部3回生の石田拓也です。
今回はおもいたってブログをつくりました!
ついでにツイッターもはじめました!
http://twitter.com/ishidatakuya8th
これからはブログやツイッターをとおして情報発信していきたいと思います。
よろしくお願いします!
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はじめてのブログなのでなにをかいていいのやら…
ということで、とりあえず詳しい自己紹介をしようと思います。
私石田拓也の生い立ちから書いていきます・
1989年の10月23日に京都は亀岡というのどかな町で誕生しました。
両親は僕の顔が不細工すぎて自分たちの子供だと信じたくなかったらしいです。
(母親いわく、大きくなるにつれてましになったらしいです。)
そんな感じで愛情あふれる?両親のもとすくすくと大きくなっていきます。
年少期はとりあえず元気な子供だったらしいです
当時、母親が僕と僕の兄に
「一日自由になんでもしていいよと言われたら何がしたい?」
と聞いたら、兄は
「一日中本読んどく!」
と答えた横で、僕は
「外で走っとく!」
と答えたらしいです。
この時点で母親は無理やり勉強させることをあきらめたらしいです。
この判断は正しかったようで、小学校を入学後、
走らせたら同じ学年では右に出るものはいなかった…ような気がします。
そんな走るの大好き人間は、ひとつ大きな舞台に憧れを抱くようになります
毎年正月に開催されてる、

これをきっかけに、ただのかけっこ大好き少年が、長い距離を走ることに魅力を感じはじめます。
ちょうどそのころに中学校に入学。
当時の楽しみといえば部活動。ただ、地元の少年野球チームに所属していたので野球部にはいるか陸上競技部に入るかで悩みます。
そこで僕は人生を変えてくれる恩師(陸上部の顧問)に出会います。
今思えば恩師ですが、当時はただのいかついおっさん。笑
そんなおっさんがなぜか入部前に勝手に僕を大会にエントリーしてました。
もちろん勝手に名前を使って…
完全に学校のルールとか無視されてましたが、そのことをきっかけに陸上部に入部します
そっからはまあしんどいことしんどいこと。
僕が通ってた中学校は地元の公立の学校でしたが、伝統的に陸上競技が盛んでした。
特に駅伝(長距離)に関しては、学校全体で応援してくれてました。
そんな恵まれた環境だったので、校則で試合前しかできないと決められてる朝練習もなぜか陸上部だけ毎週3回あったし、
放課後も規定の活動時間を超える場合は申告が必要で、これも試合前しかできないはずなのに、陸上部は無制限でした。
そんな環境にプラス、先生がすごく熱心な先生で、愛のむちでもって僕たちを懇切丁寧に指導してくれました。笑
今考えたらすごく恵まれた環境だったなーと思います。
でも当時は地獄としか思えなかったです。笑
それでも、走る前の緊張感と走り終わった後の達成感や爽快感にやみつきになります。
陸上に夢中になってたら気がついたら中学3年生になってました。
部活では主将をつとめるものの、勉強はイマイチ。笑
進路についてはすごく悩みました。
いくつか高校を絞っていく段階で、高校でも大きな駅伝大会があることを知ります。

毎年、師走の京都を舞台に開催される全国高校駅伝です。
通称都大路と呼ばれ、高校陸上界でいう甲子園みたいなもんで駅伝をやってる高校生には聖地としてあがめられてます。
そんな舞台が間近にあることを中3にしてようやく知ります。
単純にその舞台に立ってみたいという憧れから、
陸上競技においては京都では一番強いといわれる某高校の門をたたきます。
そんなこんなで高校に入学。
と、同時に勝負の世界の厳しさを知ります。
高校時代は、修行でした。
先生も先輩も怖いという感情を超越してました
言葉遣いから歩き方まで、陸上に関することだけでなく人としてどうあるべきかというものを徹底的に叩き込まれました。
教わり方は古典的な体育会系のやり方。
詳細はこんなとこではかけません。笑
でもそのおかげで、常識を超えたストレス耐性と礼儀をはじめとする人として生きるための必要最低限を身につけることができました。
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こんなとこまで書いて活動時間の終わりがきました。(現時刻 8:25)
そろそろ事務局から出なければいけません…
高校を卒業するまでは陸上漬けの毎日だった僕がなぜ祭典に入ったのかはまた今度書きます。
これからこんな感じで、できるかぎり更新していくので応援よろしくお願いします。
ではまた。
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